雑学の玉手箱

日常生活にとくに役には立たないけど、時折「なぜ?」と思う些細な疑問について調べたことの覚え書きです(^^)

歌詞

「アルプス一万尺」の歌詞の意味は?4

「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを 踊りましょ ~」。

多分どこかで聞いたり歌ったりしたことのある歌ですよね。子どもの頃はこの歌を歌いながら、2人で向かい合ってリズムにあわせて手を合わせたりする遊びをしたことも思い出します。やったことないですか?

ところでこの歌、よく歌ったにも関わらず、今ひとつ意味が分からないところがありました。とくに、「小槍」の部分は「子ヤギ」と思っている人も多いようですね。

かくいう私も子どもの頃はそのように思っていて、随分残酷な歌だなぁと思ったりもしていました。頭の中では、「アルプスの少女ハイジ」が子ヤギの「ユキちゃん」の上でピョンピョンしながらまわっているイメージでした。

その後、教科書か何かで「小槍」であることが分かってからは、さらに???という感じ…。槍の上でダンスって、足にぶすぶす刺さらないのかなぁ…。アルプスの人はそんな曲芸をするのかなぁ…なんて思ったりしていました。

槍ヶ岳と「小槍」
         槍ヶ岳と「小槍」

ということで、この歌のとくに「小槍」について調べてみました。

         ・ ・ ・ ・ ・ ・

この歌の「小槍」とは、実は日本の北アルプス・槍ヶ岳のそばにある岩のことだそうです。この「小槍」は標高3,030メートル、ちょうど「アルプス一万尺」=3,000メートルということになりますね。

※1尺=約30センチメートル ×10,000=3,000メートル

なお、小槍の他に、「孫槍」と呼ばれる岩もあるそうです。

ということで、この歌の「アルプス」とは私がイメージしていたヨーロッパアルプスではなく日本アルプス(北アルプス)であり、そこにある「小槍」と呼ばれる標高約3,000メートルの岩の上でアルペン踊りを踊りましょう、という意味のようです。

ただしこの「小槍」、断崖絶壁でロッククライミングの技術がないと登れないそうで、さらにその頂上は人一人が立つのがやっとという狭さ。この上で踊りを踊ろうというのはよっぽどのことですよね。

なお、この歌の元歌は「ヤンキードゥードゥル」(Yankee Doodle)というアメリカの歌。さらに元をたどればイギリスが植民地時代のアメリカ軍を侮蔑的に歌った歌のようです(Doodle=まぬけ)。しかし、アメリカではなぜかこの歌が好まれ、愛国的な替え歌が作られてさまざまな場面で歌われたとのことです。

日本では、元歌とは無関係と思われますが、歌詞が29番までつけられています。日本の歌詞の作者は不明ですが、京大山岳部の学生であるという説が有力とのことです。

ということで、「アルプス一万尺」に出てくる「小槍」とは、槍ヶ岳のそばにある岩だというお話でした。

「赤い靴」の女の子はどこに行った?5

野口雨情作詞の童謡「赤い靴」。
本居長世作曲の、もの悲しい印象的なメロディとともに、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて いっちゃった…」

この「異人さん」を誤解している人も多くて「ひいじいさん」とか「いいじいさん」とかうたっている人もいますが、ここは外国人という意味での「異人さん」ですよね。まあ、このあたりは今日のテーマとは違うので置いておきますが…。

ところで、この「赤い靴」の女の子は誰で、どこに行ってしまったのでしょうか。童謡の短い詩からは、どうやら青い目の異人さんのいる外国へ行ったらしいことは分かりますが、それ以上はっきりとうかがい知ることはできません。

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【 静岡の日本平にある「赤い靴」の女の子母子像】
 生まれ故郷清水を見下ろす場所に建てられた

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では、この女の子にはモデルがいたのでしょうか?

定説によると、この女の子のモデルとなったのは、明治37年に静岡市清水区の宮加三に生まれた「岩崎きみ」だとされています。

「きみ」の母「岩崎かよ」は未婚の母としてきみを出産します。その後、北海道に渡ったかよは結婚しますが、きみを育てられなくなって、きみをアメリカ人宣教師ヒエット夫妻の養女にします。

その後、ヒエット夫妻は帰国することになりますが、その時きみはすでに結核に冒されていたそうです。夫妻は結核を病む養子をアメリカに連れ帰ることはできず、やむなくきみを孤児院に預け帰国することになります。たった一人残されたきみは、その後病が癒えることなく9歳で他界し、現在は六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っているそうです。

ただし、この定説には異論もあります。特にきみは北海道には渡っておらず、北海道で活動していた宣教師夫妻との間には接点がなかったのではないかという説は有力のようです。

ただし、きみの母かよは、娘が9歳で亡くなったことは知らず、宣教師の養女として外国に行ったと生涯信じていたことも間違いないようです。どうやら、娘を手放すことになった母親かよを心配させないため、きみは外国人宣教師の養女となって外国に行き幸せに暮らしいてる、という説明をした人物がいたようなのです。そして、かよからこの娘の話を聞いた野口雨情が、かよの視点から歌を作ったと考えれば、十分筋が通るようにも思われます。

ということで、童謡「赤い靴」の女の子にはモデルがいたが、実は外国に行くことなく9歳で亡くなっていた、というお話でした。
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