野口雨情作詞の童謡「赤い靴」。
本居長世作曲の、もの悲しい印象的なメロディとともに、誰もが一度は聞いたことがあると思います。
「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて いっちゃった…」
この「異人さん」を誤解している人も多くて「ひいじいさん」とか「いいじいさん」とかうたっている人もいますが、ここは外国人という意味での「異人さん」ですよね。まあ、このあたりは今日のテーマとは違うので置いておきますが…。
ところで、この「赤い靴」の女の子は誰で、どこに行ってしまったのでしょうか。童謡の短い詩からは、どうやら青い目の異人さんのいる外国へ行ったらしいことは分かりますが、それ以上はっきりとうかがい知ることはできません。
【 静岡の日本平にある「赤い靴」の女の子母子像】
生まれ故郷清水を見下ろす場所に建てられた
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
では、この女の子にはモデルがいたのでしょうか?
定説によると、この女の子のモデルとなったのは、明治37年に静岡市清水区の宮加三に生まれた「岩崎きみ」だとされています。
「きみ」の母「岩崎かよ」は未婚の母としてきみを出産します。その後、北海道に渡ったかよは結婚しますが、きみを育てられなくなって、きみをアメリカ人宣教師ヒエット夫妻の養女にします。
その後、ヒエット夫妻は帰国することになりますが、その時きみはすでに結核に冒されていたそうです。夫妻は結核を病む養子をアメリカに連れ帰ることはできず、やむなくきみを孤児院に預け帰国することになります。たった一人残されたきみは、その後病が癒えることなく9歳で他界し、現在は六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っているそうです。
ただし、この定説には異論もあります。特にきみは北海道には渡っておらず、北海道で活動していた宣教師夫妻との間には接点がなかったのではないかという説は有力のようです。
ただし、きみの母かよは、娘が9歳で亡くなったことは知らず、宣教師の養女として外国に行ったと生涯信じていたことも間違いないようです。どうやら、娘を手放すことになった母親かよを心配させないため、きみは外国人宣教師の養女となって外国に行き幸せに暮らしいてる、という説明をした人物がいたようなのです。そして、かよからこの娘の話を聞いた野口雨情が、かよの視点から歌を作ったと考えれば、十分筋が通るようにも思われます。
ということで、童謡「赤い靴」の女の子にはモデルがいたが、実は外国に行くことなく9歳で亡くなっていた、というお話でした。
本居長世作曲の、もの悲しい印象的なメロディとともに、誰もが一度は聞いたことがあると思います。
「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて いっちゃった…」
この「異人さん」を誤解している人も多くて「ひいじいさん」とか「いいじいさん」とかうたっている人もいますが、ここは外国人という意味での「異人さん」ですよね。まあ、このあたりは今日のテーマとは違うので置いておきますが…。
ところで、この「赤い靴」の女の子は誰で、どこに行ってしまったのでしょうか。童謡の短い詩からは、どうやら青い目の異人さんのいる外国へ行ったらしいことは分かりますが、それ以上はっきりとうかがい知ることはできません。
【 静岡の日本平にある「赤い靴」の女の子母子像】
生まれ故郷清水を見下ろす場所に建てられた
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では、この女の子にはモデルがいたのでしょうか?
定説によると、この女の子のモデルとなったのは、明治37年に静岡市清水区の宮加三に生まれた「岩崎きみ」だとされています。
「きみ」の母「岩崎かよ」は未婚の母としてきみを出産します。その後、北海道に渡ったかよは結婚しますが、きみを育てられなくなって、きみをアメリカ人宣教師ヒエット夫妻の養女にします。
その後、ヒエット夫妻は帰国することになりますが、その時きみはすでに結核に冒されていたそうです。夫妻は結核を病む養子をアメリカに連れ帰ることはできず、やむなくきみを孤児院に預け帰国することになります。たった一人残されたきみは、その後病が癒えることなく9歳で他界し、現在は六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っているそうです。
ただし、この定説には異論もあります。特にきみは北海道には渡っておらず、北海道で活動していた宣教師夫妻との間には接点がなかったのではないかという説は有力のようです。
ただし、きみの母かよは、娘が9歳で亡くなったことは知らず、宣教師の養女として外国に行ったと生涯信じていたことも間違いないようです。どうやら、娘を手放すことになった母親かよを心配させないため、きみは外国人宣教師の養女となって外国に行き幸せに暮らしいてる、という説明をした人物がいたようなのです。そして、かよからこの娘の話を聞いた野口雨情が、かよの視点から歌を作ったと考えれば、十分筋が通るようにも思われます。
ということで、童謡「赤い靴」の女の子にはモデルがいたが、実は外国に行くことなく9歳で亡くなっていた、というお話でした。